学校だって、おかしなとこばかり

カウンセリング

そう思ったのはなにも今に始まったことではないですが、

ここさいきん立て続けにおかしなことが続いたので記事にしてみます。

中学校での話

先日、中学校へ通う娘が言いました。


「明日から、学校に遅刻した人はクラスのみんなの前で謝ることになったんだよ」

え?クラスのみんなの前で?


だって、朝遅刻したからって、

クラスのみんなに迷惑かけるわけじゃないし。

クラス全員がその子を待っているわけでもないし。
遅刻の影響はその子個人の範囲にとどまるのに。

クラスみんなの前で謝る意味ってなに??よく分からない。

小学校での話

ついこないだは、小学生の息子が夕飯時に
「今日〇〇に急にうしろから頭を何か固いもので殴られた。
びっくしりたし、むちゃくちゃ痛かった。痛すぎて泣くに泣けなかった」

と驚きの報告が。

ことの経緯

幸い、一晩経っても息子は元気にしていましたが、

頭部ということだし、

翌日すぐに学校に連絡して状況確認してもらうと、

お相手は「肩をポンポンしただけ」

とのこと。


ちょっと埒が明かないので、

私は学校までいきました。
先生3人と私の4人で面談に。

そもそも、肩をたたかれて

「頭が痛い」なんてあるわけなかろうに。

その思いはぐっと抑えて、私は先生に聞きました。

私

『頭を突然たたかれて痛かった』と言ううちの子の話と、
『肩をポンポンしただけ』という相手の子の話の食い違いに

先生はどう対応されたのですか?

すると、驚きの回答が!!!

担任
担任

私たちは警察ではないので、そこまでは詰められません。
もう聞くことは聞いたし、おたくの子も以前お相手の子に
ちょっかいだしていたことがあるようなのでお互いに謝りました。

え?それは以前の話で、

だからと言って突然なんの前触れもなく

人の頭を背後から固いもので殴るという行為が

あってもいいのでしょうか?

担任
担任

相手がほんとうに頭を固いもので殴ったかどうかを決めつけて
話をすることはこれ以上できません。人権にかかわりますから。

人権!人権?

人権?!?!?!

私は、人権という言葉を聴いて、

グハーーーーッと吐き気がしました。

だって聴き方なんていくらでもあるじゃないですか。

私はすっかり頭に来てしまいこんな風に話しました。

例えば、肩をポンポンした、という子には、

担任
担任

そうなんだ、どうやってポンポンしたの?

グーで?チョキかな?
それともパー??

ねえ、その時と同じ感じで先生の肩たたいてみて。
どんな感じ?強くてもいいよ。

その時とおんなじ感じでちょっとやってみて。

たたかれた子に対しては、

担任
担任

その時のこと再現してみて?

どの辺が痛かったの?
どんな痛み?

突かれるたような痛みかな?

平手でたたかれた感じ?
とがった感じ?表現してみて。

10が死ぬほど痛いとしたら10段階で
どれくらいの痛さだった?

こんな風に、どこまでも二人の主張を聴いて、

細かく細かく聴きまくって、
それで、ふたりに

担任
担任

今のお互いに相手の話を聴いて、今、どう思う?
何を感じている?

って聴いて、じっと二人を観察する。
小学校高学年にもなったら言葉では平気で嘘が言えます。

目つき、視線、息づかい、体の震え、涙、口調・・・

そういった非言語を

ぜんぶ観察してみてください。


そこに本当のことがぜったいに現れます。
なにかが現れたらそれを拾って、

「今、手が震えているね」とか
「涙の意味はなにかな?」とか、

さらにどんどん聴ける。
言葉で反映して映していく。

誰が嘘をついているか成敗することでなく、
罰を与えたり勝ち負けを決めたりすることでもなく。

ほんとうのことは子供の中にあるのだから、
それにじっくり向き合って、

大切なのは、もしどこかに嘘があるとしたら、
そこにじっくり向き合うチャンスを作ってあげることじゃ
ないですか?

口先でお互い悪かったね、謝ろうか。

もうしませんって言おうか。

最後には

『今後注意してわたしどもも見守っていきます』。

こんな薄っぺらな対応で、

なんだか綺麗におさめたような
ことをしたって何が意味があるのでしょうか。

自分のやってしまったことに

真正面から向き合う機会をちゃんと作ってあげること。

それが本当の反省じゃないでしょうか?

なんてことを、

私は3人の先生に言いました。


それに頭がとても大切な場所であることを忘れないでほしいと。

3人の先生たちは、

私が話している間中、ときどき顔を上げては


コツコツとなにやら書きつけていました。

「学校に行くことが正しい」「先生が正しい」は妄想

こんなことは、

何か起きた時の学校の対応として日常茶飯事です。

なんでわざわざここに書いたかと言うと、

さいきん私がスタートした
不登校支援のカウンセリングを進めるにあたって

学校に行けないことに苦しんでいる親子が

ほんとうに多いことを実感しているからです。

そこまでしてこだわる学校って

どんな素敵なところなんでしょう?

じっさい、

こんな風におかしなことだらけでもあります。


正直、いまの学校には

まじめに通う方がおかしくなるんじゃないかって

私は思っています。

だから私は子供が

「今日学校行きたくない」って言ったら


「ぜんぜん行かなくていいと思うよ」って言います。


学校って別に

毎日まじめに通うような場所でもないと思うよって。

行くなら「目的」を持とう

もちろん、

学校に行けば多様な子供たちとのかかわりもあるし、


行けばいろんなことがあります。

そこで学ぶことも多いでしょう。

でも、

「学校に行くことが正解で行かなければならない」

と、そこにもし固執してしまっているなら

学校だっておかしなことだらけだってこと

よく認識してほしいなと思います。

特にコロナ禍を経てから

おかしなことはいっぱいあります。

私個人としては、

学校なんてしょせんそんなところと割り切って、


自分の目的のために学校を利用する程度で

ちょうどいいんじゃないかって思っています。

自分の目的というのは、例えば、

  • お友達に会いに行く
  • 今日の給食が〇〇だから行く
  • 本の続きを図書室に借りに行く
  • 体育でサッカーができるから行く


とか。

ちなみに私は、だいたい学校に

いつも3人以上は好きな人がいましたから

その人たちに会うのが楽しみで

学校に行っていました。


そんなんでいいんじゃないでしょうか。

勉強なんてやりたければ

学校でなくてもいくらでもできるし、


人間関係を学ぶ場や素敵な大人との出会いは

学校以外に無限にあります。

もし学校に行くのなら

【行く目的を持つこと】


なんとなく学校に行くとか、

みんなが行っているから、とか。

目的がないまま通うくらいなら、

行かない方がいいんじゃないかって思います。

目的がないと逆に

学校のおかしな思想に染まってしまうんじゃないかと

そっちの方が私は怖いです。

不登校が後ろめたいなんて、

ぜんぜん思う必要ないと思います。


だって、

学校だっておかしなことばかりなんですから。

ほんとうに。

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どうぞお気軽にご利用ください。

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